ドキュメント風味と言えど人それぞれ-失踪日記について今更-

中島らもさんの「心が雨漏りする日には」という本を昨日買って読んだ。仕事の経歴を時間軸に躁うつ病アルコール依存症との付き合いを書いた本だ。なんか吾妻ひでお失踪日記」と内容的に近い。ある種典型的な天才の生き方なのかも知れん。でも、吾妻ひでおが病気の時には仕事をしていないのに対して、らもさんは病気と付き合いながら仕事をしていくのが違うか。

そういえば、花輪和一刑務所の中」と「失踪日記」も非日常の経験を仔細に記述しているという意味で似ている。だけど、その経験をネガティブに捕らえる「刑務所…」とポジティブな「失踪…」は、内容的には真逆の印象がある。


ところで「失踪日記」について勝手に考えてたことを今更メモ。今後書く機会は無さそうだから。

失踪日記」は実話を基にしたマンガだけど、作者の突き放した視点で再構築された物語は、創作と言ってもいいレベルに達している。では、この物語は何を物語っているのか?

失踪日記」の中の"ホームレスは閑なので仕事をしたくなった"という表現は"病気が回復してきた"という意味だと思う。生命を維持するための最低限のことしか出来ない状態からそれ以上のことがやりたい状態へ移行している訳だから、そういうことだろう。
病気がよくなってくると現実社会に復帰できるようになる。ということは、ホームレスやアルコール病棟は現実社会のルールが適用されない世界、つまり別のルールが適用される世界だ。そのような世界は創作の文脈ではファンタジーと呼ばれるのでは無いだろうか。
すると、「失踪日記」は現実からポカッとファンタジーの世界に投げ出された者のサバイバルの物語であり、サバイバルに勝ち抜き現実に還った主人公はファンタジー世界の勇者なのだ。
しかし勇者である筈の主人公が現実の世界に帰還したとき、特別な存在になることが出来たかと言えばそうではない。社会の構成員の一人として労働する日々が始まる訳だ。


まあそんなことを、ぼや〜っと考えていた。
そして現実から逃避しない物語がいいと思った。